藤沢周平『冤罪』、『時雨みち』(新潮文庫)

 

冤罪 (新潮文庫)
冤罪 (新潮文庫)藤沢 周平

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時雨みち (新潮文庫)
時雨みち (新潮文庫)藤沢 周平

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 今朝、出かける前に『冤罪』、帰って『時雨みち』を読む。
 本当は眠いのだが、この所漸くわかったことに、子供と一緒に起きているようでは1日バタバタしてしまうので、旦那が起きて暫くして、遅くとも旦那が出かける頃には起きるようにしている。これでも世間の、例えばお弁当を作らなくてはいけない母親に比べればはるかに遅いものの、どんなに眠くても布団は出て、布団の外でボーッとする時間を持てるようになったのは私にとっては大いなる進歩である。子供が起きるまで例え30分であっても、たったひとりの時間は貴重である。夜も大抵夜更かししているから睡眠時間が減ったということで、午後やたら眠くなるのだがそれも我慢である。まあこのへんのことは子供がいない人には絶対わからないことなのでここまでにしておく。
 『冤罪』であったのは、偶々手元にあったからである。借りたのでも買ったのでもなく、貰って。
 旦那の実家のマンションには本のリサイクルコーナーという本棚があって、住民が要らなくなった本をそこに置き、欲しい人が貰っていっていいというものである。図書館や公民館などにもよくあるシステムだ。私はそこで、住民ではないので申し訳ないが、藤沢周平がやたら出ていたので以前一度数冊持ち帰ったことがあり、それを義母が憶えていて取っておいてくれて、GWに行った時にくれたのがこの本である。
 義母といえば、彼女の実家は水戸天狗党のうち藩に残った方の末裔だそうで、私は山田風太郎『魔群の通過』を古書で手に入れてプレゼントしたことがあるのだが、他の作家の天狗党ものと違ってこれには、
「これは、…。」
という感想が帰ってきた。義母の顔を見る限り、ご納得は頂けなかったようだが(笑)、まあ山風作品に対してならそれは普通の反応だろうと思う。
 ちなみに義母の嫁ぎ先、つまり今の私の姓の家は、藤田東湖の一族に嫁を出したことがあるそうである。
 ということで、うちの子供は、血筋では天狗党シーボルト家のハイブリッド、親戚としては一応、遠い遠いものの藤田東湖というよくわからないカオス状態になっている。そもそも、私の子に生まれたというだけで十分人生がカオスな気がするが。
 今朝読んでいて、そういえば、仕事をしていた頃は藤沢周平は好きになってから一気に全作読んでしまったのだが、丸2年前に家に入ってからは読んでいなかったなあ、と気づいた。
 同じ本を2度読むぐらいなら他の本を読みたいので(人生は短い!)、余りないことなのだが、自分の方が立場を変えて読むのはつまらなくはない。今日も、確かに一度読んだことがあるはずの本なのに、内容は読む端から忘れていく人間なので、先が気になって止まらないというやつである。勿論自分にとってそういう作家の本でないと読まないわけで(笑)
 市井ものではなく武家ものである。巻末のあとがきによると、丁度この短編集に収録された作品を書いていた頃に会社を辞めて専業作家になったのだそうである(ちなみに丁度私の生まれた年だが、年度割りでいくとその次の年度になる)。武家、といえば、昔のサラリーマンのようなもので、辞める前後に丁度そういう作品を書いていたというあたり面白いというか因果というか、やはり馴染みのある世界は書きやすいのかなと思う。それに私は、作家には勤め人の経験が必要ではないかと思っている人間なので、会社を辞めることを考えたり実際辞めてから昔のサラリーマンを描く藤沢周平が好きである。
 同じくあとがきの、
「会社勤めをやめたらひまが出来るものと信じこんでいたのに、意外にそのひまがない。身体は楽になったが、精神的にはだらだらといそがしい日が続いているといった感じである」
という作者の言葉は、わかる。
 男性が専業作家という「早めの停年」(これもあとがきより)を迎えたのと、私が家にいるとはいえ子育てのために忙しくしているのとでは全く違うにしろ(だから、勤めをやめても体力的には楽になってないと思う(笑))、心ばかりが急いている、というのは同じだ。むしろ家という一点にはいるのだが色々なことを考えることには変わりない分、実際に外で動ける身よりも気ばかり焦る。わかるわかる。しかも作家は、小説という、評価がとても相対的なものを、己自身或いは読者の求めによって常に一定水準に保って書かなければいけない。その精神的なプレッシャーは大変なものだと思う。
 ともあれ藤沢周平は、遅い花を咲かせ、作家の地位を確立して間もなく専業になり、長いとは言えない作家生活でとんでもない業績を残した。このあとがき、何となく、早く停年になっちまったなーと思いながら、自宅の窓際の床に座って庭を眺めながら呟いている、というイメージがあるのだが、齢は行っていてもまだ作家としては始まりの、随分と初々しい言葉だとおもう。
 さてこの武家ものの中身は、もうこれは藤沢ワールドとしか言いようがない、とにかく不遇な武士たちの悲喜こもごもだが、ハッピーエンドものが多いし、ユーモラスさも含まれていて明るい読後感である。
 市井ものである『時雨みち』の方が、アンハッピー系というか、はっきりとは結末が示されていない作品が多い分不気味な読後感もある。なおこの『時雨みち』には映画化された「山桜」も収録されているが、この原作の方で十分満たされる、正に珠玉という短編で、むしろ1つの映像に固定してしまうことは勿体無い。原作の素晴らしい幕切れも、当然ながら映画では変更されている由。