半藤末利子『夏目家の糠みそ』(PHP文庫)、『夏目家の福猫』(新潮文庫)

 

夏目家の糠みそ (PHP文庫)
夏目家の糠みそ (PHP文庫)半藤 末利子

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夏目家の福猫 (新潮文庫)
夏目家の福猫 (新潮文庫)半藤 末利子

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star息抜きの漱石研究

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 児童館の帰りに手に取り、然程厚い本でもないので午後読みきった。
 というか…まあよくあることだけど、『糠みそ』を基にして『福猫』が生まれたわけで、前者の文章はほとんど後者に収録されている。『糠みそ』を発表した後、その中の、漱石に関連する文章を集めて再編集したのが『福猫』。前者にあって後者にない、またその逆の文章が、それぞれちょっとずつ。故に、どっちかしか買えないなら『福猫』を。この作家の作品を追いかけていた人なら、両者の間には文庫で数年空いているので吟味する余裕もあるのだが、問題は、書店では一緒に並んでいるであろうことと、私のように図書館で急いで選ぶと両方借りちゃうってことである(笑)。まあいいや。
 なので、両者を余り区別しないで感想を書く。
 一時期、30を過ぎてから漱石を読んだ時期があり、その時、鏡子夫人の『漱石の思ひ出』、息子伸六氏の随想、あとこれは別のルートからだけど房之助さんのエッセイ(笑)など、関連書籍もその時一通り読んだ。ただ、半藤一利さんにご縁がなかったが故に(何か、難しい本ばっかりっぽいんだもん…)、末利子さんの本も読んでいなかった。そして今日偶然見つけて、借りた。(一利さんの方はこないだ『幕末史』を時間がなくて斜め読み…)
 一応説明しておくと、作者は漱石の長女筆子(松岡譲夫人)の四女つまり漱石の孫で、半藤一利夫人である。経歴を見るにかなりの才女と思われるが、エッセイを世に出すことになったのは60歳を過ぎてから。
 一言で言えば、きつい所もあるけれどまあ大丈夫だった、である。
 言い換えると、鋭い舌鋒で楽しませてくれる女流は何人もいるが、彼女はまだ私にボロを出していない、ということ。好きだったのにがっかりさせられた有名女性エッセイストは何人もいる。例えば、既婚女性や子連れの女性に対する妬みや偏見をむき出しにしてしまった中〇翠さん、子持ちの女性に「デ〇」のマイルドな表現としての「日本のお母さん体型」という言葉を連発してしまった群〇うこさん(偶然だが両者とも未婚だ)。彼女らと比較しては申し訳ないが、この半藤夫人は結婚もし、かなりバランスの取れた方であろうと思われ、この先も、妙な失言はしないだろう。文豪の孫に失礼な物言いかもしれないが、一見面白いようでいて同性に対してこそ侮蔑的な女流も結構いるものなので、最近では用心深くなっているのだ。済みませぬ。
 さて。話を戻す。
 きつい、というのは、文言がきついのではなくて、歯に衣着せぬ内容である、ということ。例えば、漱石で儲けようという姿勢が明らかすぎる土地と(漱石自身は然程その土地を愛していなかったにも拘らず)、漱石に愛されたにも拘らず漱石を前面に出さない余裕のある土地を比較するような一文は、漱石の孫が書くには些か問題はあるかもしれない…のだが、書いている。その他、ズバリ、という表現がぴったりで、しかしカラリとしていて、今の所は好きである。(この2つの土地については私も同意見。もっとキツく言ってやってもいいぐらいだと思う!)
 そしてあと2つあって。
 1つは、ありきたりだが、「有名人の孫って大変だなあ」である。
 でも、偉大な人物には必ずいつか、その偉大さを正しく伝える(決して、美化するという意味ではない。あくまでも、誤解を正したり、正確なことを伝えるということである)ために戦う娘が現れる。
 不思議なことに、誰かの事績や生涯の記録というのは、戦わないと正しく伝えられないようにできてるんだと、あらためて思いました。汚そうとしたり、捻じ曲げようとする力の方が常に強いから、守るためにはただ存在するだけではなく、戦う必要さえある。哀しいことです。
 『福猫』の方の解説で嵐山光三郎が言っているように、幸田露伴幸田文森鴎外森茉莉、そして漱石には筆子経由で末利子さん…である。
 こうしてみるとやはり、「受け継ぐ」のは女性というイメージが強い。思えば、シーボルトも、為したのが娘であり、そしてイネちゃんが女医にならなかったら、日本人の彼への親しみや人気も、もう少し薄かったのではないかと思う。(あと、息子だとそんなに実家に執着しなかったりするしね…)
 まあこれは、父と娘の問題であると同時に、やはり「家と娘」の問題でもあると思う。やはり、実家を大事にするのはどうしても女性なのである。(私も、恐らく1人っ子になるであろう子供が娘でよかった(笑))
 もう1つは、何故か文豪の娘は男で苦労するなあ、ということである。まあそんなに多くの例を知っているわけではないけれど。あ、漱石の場合、夫人も相当に旦那で苦労したか。
 森茉莉さんは、彼女も大好きで小説もエッセイも全部読んだのだが、夫で仏文学者の山田珠樹とは夫のほぼ一方的な誤解が元で離婚。この時、夫の友人たちが手の平を返したように茉莉さんのあることないこと悪口を広めて回り、その最たるものが辰野隆だとエッセイに書かれていて、これもがっかりした。
 筆子さんの場合は、勝手に久米正雄に惚れられ(子供の頃のお写真を見るに確かに美人で、末利子さんも母のことを美人と書いている。両親のどちらに似ても醜くなりようがない)、勝手に「振られた」と、久米には夫松岡譲を貶める小説『破船』を書かれ、これが売れてしまった。最近になって娘の半藤末利子さんが父親の復権のために文章を書くまで、長く誤解されたままの夫婦だった。どちらの本にも収録されている、松岡譲『憂鬱な愛人』についての文章では驚かされてばかりだった。私は読んだことがないので詳しい内容は知らないが、確かに、学校の授業で漏れ聞いたのは『破船』の方ばかりだった気がする。しかし、末利子さんの証言によれば、結局、学校の授業でも出てくるほど有名になってしまった”恋の鞘当て”なんてものはなかった、というのが真相のようである。なのに、一方的に貶められた松岡は結局自主的休筆期間が祟って寡作作家になってしまった上、その作品も今では読むのが難しいという。「文学史」とは何と不公平なものか。(実際、地元の図書館では、彼の著書は、小説は2作品しか所蔵されていない)
 『漱石の思ひ出』までも、鏡子夫人と婿がぐるになって漱石を貶めたのだと言い立てる弟子には、ホンマ阿呆かと思う。夫婦のことは夫婦にしかわからん(笑)。夫婦以外では、せいぜい、完全ではないにしても子供にわかるぐらいだ。
 『漱石の思ひ出』でも思ったが、例え弟子でも、人間なんて勝手なもんだなあ。漱石が死んでしまえば勝手に自分の都合のいい師匠の像を作って強制することしかしない。そういえば、シーボルトにだって色々な弟子がいた。そうそう、男で苦労したといえばイネちゃん以上の人はいないかも。この場合も、対照的な弟子2人がいた。師匠の娘に、師匠の一周忌を待たずに手を出そうとした久米には、石井宗謙が重なった(久米は実力行使しなかっただけ石井よりましだけど)。イネちゃんの場合、更にその娘のおたかさんも、恐らく美貌故に男ではまた苦労しましたねえ。とはいえ、この2人の不幸なくして子孫はいないってのも皮肉なもんです。
 そうそう、半藤夫妻両方が長岡に縁深い方とあっては、私にも無縁ではありません(笑)。夫人は父方、一利氏は母方が長岡で、同時期に疎開していたのが縁だそうです。『幕末史』でも、その関係もありますが、歴史上の事実として半藤氏は「官軍史観」をいい加減やめようという姿勢です。そうだ、『幕末史』の記事に書きましたが、この本によれば漱石、芥川ら江戸っ子の作家はやはり”官軍”にはいい気持ちを持っていなかったそうですから、長岡出身の松岡譲と漱石とはもしかしたらそのあたりでも気が合ったかもしれません。
 松岡譲の碑が長岡の悠久山にあると書いてあったのですが、私も行ったのに見なかったなあ…。悠久山にある「長岡市立郷土資料館」は、長岡の風土文化と、出身の著名人の展示があるのですが、松岡譲はあったかなあ。ノーマークだったので気づかなかったのかも。山本五十六とか堀口大學ほか数人の展示は憶えてます。
 他にも、筆子さんの晩年のエピソードだとか、色々と興味深い文章ばかりなので、漱石ファン、女性エッセイストファンにはお勧め。半藤一利さんファンには…どうかなあ?(笑)
 重い話はこれぐらいで。
 『福猫』のあとがきに、2007年は漱石生誕140年で、江戸博で漱石展があった、と書いてあるのですが、これ正に行きたかったのに行き逃したやつ…。丁度その頃腹のデカさがピークで(笑)、途中で用事があっていつもと違う電車で病院に検診に行く途中、電車内にはその吊り広告、窓の外には両国駅。江戸博が過ぎていくのを見つめておりました…。
 先に『糠みそ』を読んで、冒頭がその糠みその文章で、お約束だけど、自分も糠にきゅうりを漬けっぱなしだったことを思い出した…。この季節(末利子さんによると4、5時間で十分という)に、丸1日以上…。きりのいい所まで読んで慌てて出しに行きましたよ…。色は悪くなってなかったですが、かなり塩辛くなっちゃってましたね…本当は塩抜きとかした方がいいのかもしれませんが、そうするとホントぶよぶよになっちゃって、糠のうまみも抜けちゃうんでこのまま食べます…
 実は、生涯二度目の糠も遂に先日諦めまして、新しいのを買って漬けているのです。前のやつは、使わない日はつい混ぜ忘れ、表面のカビを取っているうちにどんどん減って、折角買った漬物専用のホーローの器の底を埋めるのも大変なぐらいに…そしてとうとう修復不可能、完全に腐ってしまい、断念。やっぱり、食べないんですよ、大人2人では。糠漬けは必要、でも食べきれない。でも食べたい。私が塩分を気にしているけれど、でも発酵食品は身体にいい。そうした矛盾を抱えつつも、やっぱり新しいのを買いました。漬物ってのは、これがないとご飯が食べられないという年代では私はないけど、こう…リズム担当だってのはわかりますね。ちょっと目先が変わって、音も重要っていう。うん。だって、出てくると嬉しいもん。旦那の実家で出てくると、私が一番食べますね。ご飯2杯はいけます。
 前の糠は、塩気が弱い割にすぐ色がひどくなっちゃったんですが、今回のは色がそんなに悪くならないですね。ただ、スーパーで買った、ビニールに入ってる、出来合いの糠床なんですが、使わなくてもやっぱり混ぜなきゃいけません。冷蔵庫に入れろってんで入れてまして、それで然程漬かりすぎなかったのかも。今度こそこの糠は大事に育てたいです。
 『糠みそ』の97ページに、糠床のコツが箇条書きになっておりまして、メモ取りました(笑)。いつかはビニールのパックをやめて、陶器の壷みたいなやつ(実家にあった)に移したいなあ。専用のホーロー容器もいいんだけど、如何せん、きゅうりが1本漬けられる幅を優先したために表面積が広すぎる気がする。
 そういえば、ドラマ「クロサギ」では、山崎努演じる情報屋が毎度糠漬けをあれこれ工夫していましたが、これにも終盤でオチがちゃんとつきます(笑)。
 私は糠漬け派、旦那は柴漬けのような、よりポリポリ派ですが、出せば何でも食べるので出します。
 糠漬けの旬はやはり春から夏までで、半藤家同様、我が家でもできれば冬は白菜の塩漬け派。東海林さだおさんの、この白菜の漬物についてのエッセイはいいです!物凄く同感です!
 結論…糠みそは大事に(?)。