凌海成著、〔文武〕華・衛東訳『最後の宦官 溥儀に仕えた波乱の生涯』(上・下)(河出文庫)

 

4309472699最後の宦官―溥儀に仕えた波乱の生涯〈上〉 (河出文庫)
Ling Hai Cheng Li Wei Dong Yu Bin Hua
河出書房新社 1994-06

by G-Tools
 
4309472702最後の宦官―溥儀に仕えた波乱の生涯〈下〉 (河出文庫)
Ling Hai Cheng Li Wei Dong Yu Bin Hua
河出書房新社 1994-06

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 世の中には「最後のナントカ」ものというのがありまして、その中で、少ないとはいえども「最後の宦官」ものも、1ジャンルとして存在していますな(笑)。
 で、他にも「最後の宦官」と言われる人はいるようで、この本の主人公1人だけが最後ってわけではありません(他の「最後の宦官」ものも借りてあるので読みます)。
 溥儀を出してくりゃあ売れるということで、サブタイトルは「溥儀に仕えた」となっていますが、最初から最後まで溥儀に仕えたわけではなく、あくまでも孫耀庭、幼名留金の波乱の生涯のドキュメンタリー。「家政婦は見た」「大奥」的なものを期待するとがっかりします(私もそうでないとは言い切れない…(笑))。
 最後も最後、この留金は、貧しさゆえに自宮(自ら切って宦官になること)したものの、何とその直後に辛亥革命(勤めるアテを見つけてから切ってもよかったのではないかと…)。表向き、「宮廷」はなくなってしまいます。しかし急に制度が何から何まで変わるはずもなく、耀庭という名前をもらって溥儀の実家にあたる醇親王家に仕え、その後「四太妃」の”筆頭”を称する端康太妃(あの珍妃の姉)に仕え、更に運命のいたずらか、新婚の溥儀夫妻の許へ。
 ここで気さくな皇后に可愛がられるものの、今度はクーデターでとうとう溥儀一家も紫禁城を出され、耀庭もまた、若くして外界へほっぽり出されてしまう。
 そうなると宦官とは哀しいもので、色眼鏡で見られたり、自身でもコンプレックスがあったりで、色々な商売に手を出しては失敗してしまったり、昔の宦官の大物に助けられたりと、「溥儀に仕えた」どころじゃない苦労をすることになる。
 やはり宦官になったのが遅すぎたということで、本来なら皇帝に仕え高位の宦官に任ぜられでもすれば、莫大な財産を蓄え故郷に錦を飾ることもできたものの、実体のない宮廷に仕え、どさくさの間にも何も持ち出さず(ホントか?)では、故郷でさえも心安らぐ場所ではない。こういう動乱の時代ほど、人とは正直なもので、いざ耀庭が宮廷で出世したと聞けば、村人たちも家族に冷たくなったとのこと。そのため、彼は何度か故郷に足は踏み入れるものの、いつも長居はできずに北京に舞い戻る。
 一番嫌なのが、この、やっかみってやつですよね。中国のこの時代の「波乱万丈もの」というジャンル(このジャンルも盛んですな!)では、主人公は一度や二度どころでなく、必ずこの「やっかみ」であることないことを告げ口されて悲惨な目に遭うのがパターン。人が自分よりちょっとでもいい目を見ると告げ口をしたり無実の罪を着せたりで(自分が追いつくのではなく人を引き摺り下ろすという思考回路)、読んでいて嫌になります。でも読むんだけど(笑)。
 しかし…
 この「中国の波乱万丈もの」では、必ず主人公が「いい人」なんですよね(笑)。
 いや、絶対に嘘だとは言わないけど(笑)。今回の耀庭も、幼い頃から正直ないい子で、親のために宦官になったし、その他多くの、主人公が皇族の一員だったり庶民だったりでも、主人公はどんな時でも心の清らかさを失わないことになっている(笑)。
 正直だけで生き延びられる時代じゃないし、通説でいけば「正直な宦官」なんぞ「クラゲの骨」というやつですが(見たことない、の意)。 
 そもそもこの本、ドキュメンタリーと言いつつ文章は完全に小説。聞き書きぐらいはしているんだろうけど(出版時点で耀庭は存命)…まあ、眉に唾は少しつけないといけません。それはもう、この時代を扱った「波乱万丈もの」、みんなそうです。だって誰だって、生き延びたを幸い、自分に都合のいいようにしか語りませんからね。
 そんなわけで、「最後のナントカ」もので「波乱万丈もの」で、一宦官の伝記でした。「できた人間の主人公が、有為転変をくぐり抜け、正しく生きた者が勝つ」というパターンには些か飽きもしていますが、読んでしまいました(笑)。
 おまけ。
 宦官と言えば、映画「ラスト・エンペラー」に1人、本物の生き残りが出ていたように思うのですが、私だけでしょうか…
 溥儀とジョンストンが同席していて、そこで食事のメニューをえんえんと話している老齢の宦官。確かこの時、ジョンストンが、「陛下の秘密(ネズミ)が顔を出しておりますが…」と言うんだっけ。
 この宦官、原語で聴くと、声が特徴的に裏返っているというか、成人男性の声ではないんですね。宦官は男性の声を失い、「ガラスを引っかくような」とも言われるキンキン声になってしまう。この宦官役の人、映画製作当時の年齢と辛亥革命からの年数を考えると、清朝末期に10代半ばぐらいで本当に宦官をしていたとしてもおかしくない。ただ、「太る」(去勢という意味では猫と一緒…)とされている宦官の割には痩せてましたが。これが、「ラスト・エンペラー」に関する私のずっと持っている疑問です。(Wiki「ラスト・エンペラー」の記事で「宦官」として日系アメリカ人俳優がクレジットされていますが、彼は当時まだ30代なので、この宦官ではないようです。)
 (※後日、レンタル版「ラスト・エンペラー」を借りて観たのですが、この、メニューのシーンはなし…。むしろ私が昔TVで観た方のがディレクターズカットだったのでしょうか…でも同じ俳優さんが最初の方の、3歳の溥儀が入浴しているシーンに出ていて、やっぱり声が甲高かった。)