『倉橋由美子 夢幻の毒想』(KAWADE夢の手帖)
倉橋由美子 (KAWADE道の手帖)
わー去年の11月に出てたんだ。
こないだの土曜日、デパートに行ってレストランの順番待ち中、でっかいソファで、奥行きがありすぎてふんぞり返るような格好になって、目の前の書店の本棚をぼーっと眺めていると、「倉橋由美子」の文字が…
ナニ!?と引っ張り出してみたのがこの本。
好きな作家の回顧ものムックは、情報が整理されていたり関係者の話が読めて面白いので欠かさず読みます。
早速借りねば!とすぐさま携帯で図書館に予約を入れていると順番が来て呼ばれて(番号札を取って待つ)、慌てて、隣のおもちゃ売り場にいる母と子供を呼びに行った。
こうして時々リアル書店に行くと、いつも何かしらは「こんな本出てたんだ!」となりますね。家に入ってからは電車の吊り広告も新聞の広告も見られないから新刊情報からは完全に遅れてるので。ネット書店いくら使ってたって、そうそう自分の読みたい本にはちゃんとぶつかりませんよ。
さて、この倉橋さんは、2005年、69歳で亡くなられました。それを知った時は、何でこういう人に限ってと思いました。作家の七十、八十なんてまだ十分現役じゃないですか。生きてさえいればあと10でも20でも(例え短編であっても!)素晴らしい作品が読めたのにと。こうして今69歳という年齢を見ると、決して早死にではないのに、その時はとても冷静には考えられなかった。そんなに作品の多い人でもないし長編も近年は練りに練られた軽い味わいのものが多いので、正に水の如く淡い交わりではありましたが、まだいくらでも読めると思っていたので。
実際には、90年代に入ってからは体調を崩されていたそうで、私がこの方の作品を初めて読んだのは2000年代なわけですから、比較的新しいものでさえ10年ほど前のものだし、遡って読んだものに至っては私が生まれる遥か前に発表されたものだった。だから正確には現在進行の作家ですらなかったのに、私の中では「今」の作家だった。知って僅か数年で亡くなってしまった作家だということが未だに信じられない。
いくら好きだ好きだと言っても、出会ったのはブログの方を始める前だったのか、今念のため調べてみたらやっぱり一度も採り上げた事がない。オマイガーッ!!!
仕方ないのでこの際愛を告白しておく。出会ったのはご多聞に漏れず『大人のための残酷童話』で、これが世間的には一番の売れ線なのかもしれないが勿論売るための本ではないし、やはり倉橋さんの倉橋さんたる作品である(私は借りたか、買ったのになくしてしまったかしていたのだが−余りにも子供だったので、まさかその後また出会うとは思っていなかったのだ。一番、ちょっと怖い話を書く作家、程度にしか思っていなかったのはその頃の私である−、偶然、結婚したら旦那の蔵書の中に単行本版があった)。
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好きなのは、1人のヒロイン、共通した登場人物で、その都度テーマを変えながらも書き続けられている「桂子さんシリーズ」だ。不思議で、高潔、知的かつエロティックで、夢幻。大変な教養と知識を基に高度に構築された夢物語が好きな私にはドンピシャの作家だった。(共通した登場人物が回を追うごとに増えていき、しかも関係が複雑なので、系図を紙に書き出しておいて読んだ…)
(彼女より後に本格的に全部読むことになった山風も、作風は全く違うが「物語の作り方」の根本にある教養とそれを売りにしない真の実力、遊び心と、「文壇」と距離を置いて自分を貫く強さは同じである。筒井康隆もそうだ。結局、実力があって面白いものを書いて、「文学」なんて妙な権威など気にしない人が好きなのである。)
私小説だの純文学だのは好きではないところも一緒だ。どうも日本の文学ってのはナルシスティックな私小説だの何をもって「純」なのかも実はよくわからない純文学のみを文学とするおかしな集団である「文壇」があって、そんなもんほっときゃいいのに権威は欲しい人が減らないから未だに存在する。まあそれも含めてほっとけばいいや。
大体、自分が文学を書いてると思ってる奴って衒いの塊じゃん。私はそういう衒いのない作家が好き。
好きな本を読み、作家は好きな風に書く。そうしている作家さえいればいいのだ。
そういうわけで、結局どこがどう好きなのかは言えないが、頭のいい人で、凄い話を書いても読んで疲れる文章ではなくて、生き方、創作の姿勢、…全部がカッコイイ。としか言えない。(私には好きな女性の作家はこの人と松浦理英子しかいない。)
今回のムックで一番好きな部分を挙げれば、既に発表されたエッセイの採録「倉橋由美子のウィット事典」の「お」の項、「オリジナリティ」。
「これがある、と言えばつまり褒めたことになるらしい。しかし大体、一流の本物は、由緒正しくも何かの模倣であって、なおかつ偉大である。オリジナリティがあるなどと言っては失礼に当たる。それがあると言う意外に褒めようのないものが大概三流以下なのである。」
どおーですか、このカッコよさ!
もう例は枚挙に暇がないので、とっつきやすい『残酷童話』や桂子さんシリーズから是非読んでみて欲しいとしか言いようがないです。
私も、亡くなってから刊行されたものや、いくつか落としていた最近のエッセイ集があったので、慌てて図書館に予約して、今日これから雨が止んだら取りに行く予定です。
あと、読んでいた頃はまだ子供がいなかったのですが、今は、このムックにもある、倉橋さんの、お嬢さん2人の母親でもある部分についても考えることができるようになりました(最初のお子さんを産んだ年齢も私と一緒だった)。「筋金入りの子供嫌い」なのは私も同じで、「子供たちのくだらないおしゃべりをおもしろがり、腰をかがめて子どもたちを理解しようと努める」母親となることは、社会的動物としては駄目になる、と考えていること、「常に大人として接する」という考え方も全く同じだったのでほっとしました。勿論、倉橋さんは「育児より仕事を優先する理由はない」「子どもは母親に似せて自分を作る」というごくごくまっとうな考えをもつ人で、実際にお子さんが小さい頃は仕事をセーブしていました。私は単にめんどくさがりで子供をほうっておいているだけです。まあ、「母親らしい」人間にはなれないと最初からわかっているし(勿論それができる性格の人もいますし児童館で「いいお母さん」も沢山目にしますが)、子供レベルに自分を落としても子供のことがわかるとも思えないのでこのままでいきます。もしかしたら、まだうんと小さいうち(3歳ぐらいまで?)は、それこそべったり一緒にいるぐらいでないと子供は淋しいのかもしれませんし(それに正直、本を読んでいる姿を見せて読書の習慣をつけさせても…小説なんか読む時間があったら理数系の勉強をして手に職をつけて、私のようにならず、自立した人生を送ってほしいと思うので)、君の母親は残念ながらこういう人間なんだとわかってもらえるのはもっと大きくなってからだろうから、小さい子供に過剰な理解力を求めている気はしますが。
これ以上は、こんなに頭のいい人と私なぞを一緒にしていると思われても申し訳ないので詳しくは書きません。
まあ、実際、「可愛がられた記憶がない」と言いつつも、倉橋さんの2人のお嬢さんは立派に育っているし、口では何だかんだ言っても、女の子2人だったから、そりゃあ可愛かったと思いますよ。いやもう、女の子ってのは(異性の方が母親にとっては可愛いとも言いますが)母親にとってはまた特別で。可愛いんですよ。女の子ってのはどんなに小さくても女の子で、自分と似ているけれども違って、コピーのようで全く違う人間で、面白いですね。
↓「桂子さんシリーズ」を、順不同で。
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