高橋克彦『星の塔』と『黄昏綺譚』をめぐって(感想というより個人的なことなので気にしないで下さい)

黄昏綺譚

謎の記憶

 短篇集『星の塔』には、「お前は何であんな残酷描写ばかり書くんだ」と従兄に問い詰められる作家が出てきます。その従兄が例の一つに挙げているのが、「女性の×××を刺して殺す」というもの。
 あ、これ、作者は自分でも気にしてるんだ、と思いました。
 こういうシーンが出てくるのが、『だましゑ歌麿』(これも浮世絵三部作と共にいつかレビューしたいのに…)と、『倫敦暗殺塔』なのですが、私は偶々この2作を続けて読んだので、「…何かこの部分にトラウマでもあるのか?」と思いました。
 世に残酷描写は数あれど、バラバラにしようが首を切り離そうが、そういえばなかなか、そのものズバリアソコに刃物を、というのはそんなに見かけないなぁ。男性作家では特に、どんな残酷なところでも、そのあたりの部位だけは無意識にタブーにしているのかもしれません。この国の神話には出てきますけど(箸墓ね)。
 あるいは、山田風太郎同様(山風は医者の子にして医大卒、高橋氏は医者の子)、縫う(特に山風は、忍法としてではありますが、「縫う」が好き(笑))とか内臓とかそういうのが平気で書けちゃう育ちの延長上にあるのかなあとも思えます。それにまさしく、日本では未だに出産時に6割から8割の女性が(既に国際的には推奨されていない―『メルクマニュアル』最新版より―にも拘らず)、さっさと生ませたい病院の都合で会陰切開をされていますから(前にこのあたりのことは『生首にきいてみろ』のレビューで書いた)、医学に近い立場だからこそ出てくる発想なのかなとも思います。そうそう、山風の忍法の、アソコを縫っちゃうなんてのは、この知識がないと思いつかない!(笑)(←今回非常に生々しい話で済みません)
 簡単に言うと、医者の子だったり医者だと、そうした一線に関するネジみたいなのが絶対1本抜けてます。環境と慣れの問題なので仕方のないことです。それに山風は決して人の身体をナメているどころか、トンデモと言われてしまう忍法さえ、実は人体の奥深さへの賛歌かもしれません。人には「これがこうなっている」はわかっても、「ではそういう仕組みを誰が作ったのか」はわかりません。(ちなみに、晩年に聖職者になった人の多くは、元は科学者や医者が多いそうです。知ることが出来る立場にいる人ほど、絶対にわからないことの大きさを思い知るのでしょう。)
 『星の塔』に戻ると、主人公である作家は、
「子供の頃に見てしまったある恐ろしい場面を忘れるために、繰り返し残酷なシーンを書いているのかもしれない」
と言い訳?します。その恐ろしい場面とは、子供の頃に父親が経営する病院で遊んでいて、知らずに手術室に迷い込み、丁度目の高さで、目の前で、ぱっくりと脳味噌を剥き出しにした女性の頭を見てしまった、というもの(すいません生々しくて)。それはその時偶々、頭を斧で割られて殺された女性の解剖をしていたのだという。
 この体験は、そのまま高橋氏のものだったと『黄昏綺譚』にあります。院長の息子の特権で、いつも病院を遊び場にしていた氏は、ある日手術室へ迷い込み…。しかし、周囲の人間はそんなはずはないという。そんなことはなかったし、そもそも解剖などしない病院だったと。氏は、泣き叫ぶ氏を抱えて連れ出した看護婦の慌てた顔もはっきり憶えているのに。
 …つくづく家が大病院じゃなくてよかったと思いました。
 いくら周囲に「ありえない」と言われても、わざわざこんな嘘の記憶を自分で作る必要もないですよねぇ…でも相当大人になった氏にも、父親も誰も頑なに「そんなことはない」と断言したそうで…つっつくとそんなにヤバい話なのか!?
 まあ、事の真偽はご本人にも謎なので我々にも謎ですが、手術室にまで入ってしまうということは、よっぽど縦横無尽に遊んでいたのだな、高橋氏(^^;)。確かに、病院の扉って、絶対に出入り口以外は中から鍵かけませんしね。それでも、敢えて書いていなかっただけかもしれないけれど、手術室以前に、一般の病室に入り込んでしまって怒られた、とかの方がありそうですけどね。本当にそういうことはなかったのなら、やはり入院病棟は避けて外来の方で遊んでいたのでしょうか(手術室ってのがどっち寄りにあるのか詳しくは知りませんが)。入院病棟の方が、ナースステーションのお姉さんが遊んでくれそうなのに(笑)(医者の子ってのは看護婦が気持ち悪いぐらい気を使ってくれます、ハイ)