つながる話―『突飛な芸人伝』

 突飛な芸人伝
 (以下、昼間書いたものをコピペ)
 昨日に続いて吉川潮、今日は『突飛な芸人伝』(新潮文庫。『芸人奇行録・本当(マジ)か冗談(シャレ)か』改題)をネタに…
 これも、採り上げている芸人さんがほとんどいつもと同じ…。まあいいや。好きなものは何度書いたって楽しいもんね。吉川氏に対しては、「芸人の目線で書いている」というのが大方の評価だが(彼らのキツいシャレは、一般人が浴びたら1時間ともちません)、確かにもう、評論家をやめて作家になってからは、彼の「書く」とは、「仲間をいじり続けている」ということですね。
 …で、この文章は、繋がっていって、全然違う話になってます(^^;)

その1 月亭可朝

 この方については、すみません見たこともありません(上方には疎いもので)。 
 この方が野球ファンになり、阪急の応援をするきっかけとなったのが、あるスナックで「阪急の山田さん」を紹介されたこと。当時可朝は、阪急といったらデパートか電車かどっちだ、というぐらい、野球を知らなかった。
 山田さんって…
 「山田久志」!?
 あの、サブマリンの山田久志!?
 阪急で…あの頃現役の…いやよくある姓だが多分…
 もし、本当に山田久志だとすれば、この方も勿論私は現役時代を知りませんが、大好きなピッチャーの師匠に当たる方です。
 伊藤敦規
 福井工大熊谷組(これも今やない…)を経て阪急ブレーブスにドラフト1位入団。山田氏以後はほぼ唯一のサブマリンピッチャー。それもそのはず、山田氏のフォームの分解写真を手に入れて研究したとか…(確かそんなことを読んだような)
 私がファンだったのはこの方がトレードで横浜にいらしてからですが、最初の年は先発(私は先発で十分いけると思いますが、どうもかみ合わせが悪かったらしく余り勝てなかった)。2シーズン目以後は中継ぎ。その頃は二軍にいることが多く、私は浜スタと同じぐらい安針塚の練習場に通ったものです。『月刊ベイスターズ』や彼の野球カードにサインをしてもらったり、勿論写真も…
 その後、彼は阪神へ移籍。つまり、また関西に戻られたことになりますね。この阪神ではセ・リーグ最年長投手、中継ぎエースとして活躍。私もTVの中継で見るたびに応援していました。先年引退され、今はご実家の工務店の後継者として頑張っていらっしゃるとか。
 うーむ。思わぬところで思い出してびっくらこいた。

その2 古今亭志ん駒

 この方は、ブログでも言及した著書『ヨイショ志ん駒一代 志ん生最後の弟子』で最初に知りました。で、たまたま先日新宿末広亭でご本人を拝見。海上自衛隊で培った「海軍ギャグ」。いや面白かった。
 自称「楽屋の軍事評論家」、「トマホークの志ん駒」。何故なら、トマホークのように低く飛び、頭には核弾頭ならぬ「客」弾頭が…そう、この方は自他共に認めるヨイショの天才。しかも厭味なく。
 私も大好きな川柳川柳師匠はこの方を「神様だよ」と言うそうです。
 で、『ヨイショ〜』にも書いてありましたが、この方を、売れない二ツ目時代から贔屓にしていたのが、
 半村良
 あの、半村良です。
 「半ちゃん」「志んちゃん」の仲だそうで…
 半村良と言えば、高橋克彦です(笑)
 話が戻ってきました(笑)
 こういうことがあると、本当に、いろんな方々がプカプカ浮いているのに自分の周り半径1メートルだけが荒波で、一人で浮き輪かぶって必死に泳いでる気分になります。トホホ。
 志ん生最後の弟子 ヨイショ志ん駒一代

その3 月亭八方

 可朝師匠と師弟で登場です。この方は、昔やってた、大阪のTV局がキー局の土曜朝の番組で見てたきりかな…(本当に上方には疎いもので)
 この方は野球の名門・浪商の野球部に入るも、先輩・高田繁を見て「無理だ」と悟り、芸能の道へ。
 この方の阪神好きといい、同じくこの本に登場するヨネスケ師匠の野球大好きっぷりといい、趣味の充実というのは本当に芸に大切なんですねぇ。
 阪神の選手をネタにするこの方も、実際に選手とはほとんど付き合いがなく、実際に会えるとなると二軍の選手にも大緊張してしまうとか。そんな彼が、唯一親交があったのが江夏豊(当時、日ハム)。八方は自分のリサイタルに江夏を招待した。記者たちは、現役のスターが本当に来るのかと半信半疑。
 流石に八方本人も不安になり、「江夏さんが来られなんだら、お前が出てや」と頼んでおいたのが―――
「浪商の後輩で、中日で売り出し中だった牛島」。
 牛島監督ー!!!!!
 ハアハアハア。
 びっくりして鼻息が暴発してもうたわ。
 そうか、浪商…
 そうかそうか。
 シチーボーイ風ですが、あの面構えはやはりナニワ…
 (…監督、ついては行くけど、いい加減ちっとは打線いじりや…)
 ちなみに昨日プロ初勝利を挙げた高宮投手は、浪商(現在は大体大浪商)の後輩だそうです。
 …横浜ァッ!!!
 いつもいつもバカ勝ちか一点差負けしとらんで、まともに勝たんかいぃ!!!!(そこが横浜らしいけどね)

その4 番外・『談志百選』(講談社

 師匠、小見出しにしちまって申し訳ありません。
 昨夜、寝しなにこの『談志百選』(立川談志著、山藤章二絵、講談社)を読んでいたら、「権藤博」が登場。
 この本は、ジャンルを問わず師匠が「すごい」と思う人を挙げているのだが、確かに―――権藤さんだったら、通が認める渋い芸という感じもする。
 見た目も(若い頃はメチャメチャもてたらしいし)、厳しい席亭みたいだし(着流し似合いそう)。
 横浜というチームには、やっぱり権ちゃんみたいな監督が一番よかったのかな…
 今でも悔やまれるのは、近藤監督なんぞを3年契約だけならまだしも何故か更に1年留任させたこと(そのくせ選手押しのけてCFとか出んな!「横浜新道」のCFなら、あの当時なら「進藤」だろう!!!)。OBと某大学閥に弱いという噂。
 権藤さんの前に称えられるべきは谷繁を鍛え直したという大矢監督。あの方には足を向けて寝られない。(解説も相変わらず素晴らしい…解説者としても監督としても素晴らしい人は少ない。
 そして…権藤さんの、評価されている放任主義も、丁度選手のピークに合致したというのもあるかもしれないが、元々横浜って自分らでノらないとダメなチームかもしれないし、あれはあれでベストだったと思う。
 森監督は、できれば近藤監督なんぞすっ飛ばしてあの時点で1、2年鍛えてくれていたら、頂点はもっと早くに来たかもしれない。私の念願叶って名監督・森さんが来た時には、もう選手層が崩れ始めていた。遅かった。これも口惜しい。
 そして今…(え?某OB監督?コーチとしてはよかったのかもしれないけど…?)
 文句は言わない。何といっても、あのメンバーをまとめて昨年の成績は上出来だったと思う。
 44年組がそろそろ消えようという昨今。5年10年先を考えれば、今のレギュラーの問題点は自ずと見えてくるはず。今年のAクラス、今年以降の安定した成績を目指して、いくら何でも今の起用法は変えて欲しい。
談志百選 権藤語録―プロ野球 横浜優勝への軌跡