クリスティーとドイルのこだわりカップル観

 『ナイルに死す』。犯人メチャ憶えて過ぎトリック鮮明憶えて過ぎで、しかもユスチノフ版の映画もスーシェ版のドラマも観てるのに(笑)
 犯人を知っていて読み返すと、「こんなにも最初っから正しい手がかりが撒き散らされてあったんだ!!!」と驚きます。
 また、まっさらな状態で読むのと、知っていて読むのとでは解釈が正反対になるモノローグも。
 こういうことをしれっとやってる、まさにノリノリの筆ですね。
 ということで、さんざん内容はわかった作品なので、ここらでクリスティーカップル観なぞを。
 ポワロもマープルも、夫婦や恋人たちに優しい探偵です。つまりクリスティーは、愛のミステリ作家です。
 これは、処女作におけるポワロからしてそうで、それが純化したり、夫に捨てられて離婚、という最大の悲劇を経て少し形を変えつつも、最後の最後まで変わりません。互いに好きあっている男女にはなるべく幸せになってもらえる方向で事を進め、収めるわけです。まあお節介おばさんみたいな所があるわけですね。
 今日読んだ、クリスティーの普通小説『春にして君を離れ』でもそうなんですが、クリスティーは「神聖な結婚の誓い」ということに一生拘り続けた人ですね。誰かを心から愛し、裏切られ、再婚し、自分の死後夫に遺言で再婚を許すまで、ずっと。
 だから、「家庭破壊者」(あるいはカップルに割り込む)である、何でも自分の思う通りにしないと気が済まず、人の心など全く考えない若い(美人で金持ちのことが多い)女性というのが実によく登場し、毎回容赦なく叩かれてます(笑)。昨日の『五匹の子豚』といい、『春にして君を離れ』といい。勿論、夫を持つ女性から見れば、夫を誘惑する女を許せるわけがない。
 しかも、クリスティーの最初の夫、アーチボルト・クリスティーというのが、もはや名言ともいえる?暴言を残しています。
「僕と彼女が幸せになるのを、君はどうして邪魔するんだい?」
 「は?」ですよね。
 幸せになる権利があるのはお前らじゃなくて妻と娘だろ!!!と。
 ま、世の中実際こういう、死ぬ価値もない男がいるんですな。
 ここまで言われてりゃあ、様々に形は変えつつも、結局は同じパターンの話が多いのも頷けます。(ついでにいうと、この夫は空軍のパイロットだったのですが、クリスティー作品に出てくる航空隊上がりは必ず、「戦争中は女にもてはやされるけど、戦争が終わったら役立たず」とボロクソに書かれます。旦那は一応、戦後まともに働いてたんだけどねえ…(笑))
 クリスティーが繰り返し書いているのは、「結婚の誓いとは、『他の女(男)を好きになった』ぐらいで決して壊していいものではない」ということです。ちなみに、最初の夫を奪ったのは、彼のゴルフ仲間、ナンシー・ニールで、趣味の合う女性ということになります。でも、いっくら妻と趣味が合わなかろうが離婚とは別だろ、というのが一生クリスティーの中にくすぶり続けたようです。そりゃ当然でしょうね。妻として愛した気持ちに比べて、別れたい夫の気持ちはあまりにも下らない理由過ぎる。(クリスティーは、記憶喪失ということになっている”謎の失踪事件”では「ミセス・ニール」を名乗ってホテルに泊まっていました。彼女自身が一番の謎。)
 しかも、キリスト教では特に結婚の宣誓がはっきりしている。ちゃんと、「相手が始末に負えない病気になって一生荷物になろうが、貧乏になってトゲトゲしようが、別れません」という誓いです。昨日読んだ、ウケなかった(でも傑作)戯曲「評決」でも、それを盾に、病身の妻を守って他の女性の愛を拒み、結局は周囲を不幸にする男性が出てきます(所謂家庭破壊者も勿論登場して悲惨な末路を…)。クリスティー作品には、相手の病気や貧困が理由で相手を殺す夫婦はいません。
 だから、彼女の作品では、ほとんどの場合、夫婦や、愛し合うカップルは守られます。片方が殺されて物理的には離れても、心は離れません。夫婦のどちらかが相手を殺す場合はごく稀で、まあまあの理由があります。
 不倫というものを執拗なまでに許さないので(笑)、不倫相手が夫(妻)と共謀して妻(夫)を殺す、というストーリーもありません。そうだったのではないか、という説は毎回出るのですが、いつも真相ではない(笑)
 夫婦の片割れであっても、人の夫を奪って結婚した妻は、『ナイルに死す』で容赦なくブチ殺されます。やっぱり、人のモンを取るという最低な女にはとりあえず天罰が下るので被害者は決定(笑)、あとはどんなカップルが成立したり悪い事をしているのか?という話。キビシ〜ッ。
 「お金があっても買えないものがある」とわからない、美しく傲慢な女が道を誤った時、作者先生は躊躇わず殺してしまうのです(笑)(ナンシー・ニールはそんなに美人じゃなかったけどね)
 さて。
 ここでもう一方の雄、コナン・ドイルを持ってきてみましょう。
 ドイル作品の、日本で一番エライ研究者の人は精神科医なのですが、そのせいか、この人の研究をはじめ、日本ではホームズ作品研究がやたら精神分析に偏ってる気がしますね。まそれはおいといて。
 で、日本におけるホームズ作品研究で一番有名な説は、「結婚(カップル)不全症候群」でしょう。
 これがまあクリスティーとは正反対で、作品に出てくるカップルが、まともにくっついた試しがない(笑)(例外もないことはないですが)。恋人たちは意外な真相がわかって別れ、夫婦も死に別れ離婚し、と、だ〜れも幸せにならない。
 これもまた、不幸な結婚、但し本人ではなく両親の、が影響していると言われています。ドイルの父親は病院に入るほどのアル中で、生活のために下宿を始めた母親は、自宅で、10歳以上年下の下宿人と公然の不倫の仲だったそうです。故にドイルの末の妹は父親の胤ではない!とまで言われています。ドイルは長男であり医者としても父の療養の面倒は見ましたが、父に同情しているわけではなくても、母のこの行いは一生許せず、若い男性と恋に落ちる女性を反対にして、若い娘に年甲斐もなく恋する男性がよく出てきます。
 結婚というものに対して、クリスティーは自ら拘り続け、ドイルは許さず、目を背けるようにしていた。そんなところでしょうか。これって正に男と女の違いで、女は執念深く繰り返し繰り返し許せない女をボロクソに書くこともできるし、一生消えない傷を持ってはいたって現実に適応して結構幸せになったり。男の方が却って、傷一つぐらいで潰れたりしますね。
 クリスティーは、これは余り知られていませんが(そこまで書いてある研究書は少ない)、遺言で二度目の夫マローワン(14歳年下!!!!!!)に、旧知の女性との再婚を許したと言われています。実はその女性は夫の同僚で、最近の研究ではクリスティーの生前から公認の仲だったとか。しかし、この二度目の夫は、例えそうだとしても、妻の生前は「神聖な結婚の誓い」を破ることはありませんでした。だからクリスティーも、この自分よりは大分若い夫に感謝もこめて?再婚を許したのでしょう。実際にマローワンは再婚しましたが、それから1年経たずに亡くなりました。
 結婚の神聖さ、と言えば、ドイルもまた、妻の生前から全く違うタイプの女性と不倫の恋に落ちていました。最初の妻は、彼が死なせてしまった患者の姉で、早くに結核に冒され、余命いくばくもない…と言われていたのですが、思いのほか長生きで、それでもドイルは根気強く療養させ、生前決して哀しませることはなかったそうです。彼が言うには、二度目の妻とも知り合ってはいたがプラトニックだったとか(…これはどうだか?)。そしてやっと(!)妻が死ぬと、再婚しました。ドイルの妻として広く知られているのは、大人しい最初の妻ではなく、社交的な二度目の妻の方です。
 どちらも、作品の正確は正反対ですが、執念はかなり深く(笑)、そしてあの時代の人らしい身じまいだったと思います。