永井路子『北条政子』(文春文庫)、『炎環』(文春文庫)

北条政子 (文春文庫)
北条政子 (文春文庫)永井 路子

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炎環 (文春文庫 な 2-3)
炎環 (文春文庫 な 2-3)永井 路子

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 いやー。やはり永井さんはいい。危うく子供をほっぽらかすところだった。(いや、あくまで「ところだった」だけで、ほっぽらかしてはいない(笑))
 15(土)、16(日)と連荘で内祝を買いにデパートに通って疲労困憊していたのだが、帰宅して、長い『北条政子』をついつい読み耽ってしまったし、続けて『炎環』も…
 永井さんは、初めて読んだのが、藤原道長が主人公の『この世をば』だが、これで一目惚れだった。その割には今回まで他の作品も読んでいなかったのだが…(いや、間に入ったのが筒井康隆だったり山田風太郎だったりの数年間だったので許して頂きたい)…やはり、素晴らしい。
 この方は、私が唯一認める、許す「歴史小説家」である。他の、歴史家ぶった「自称歴史作家」はブチ殺してやりたい。他の好きな作家(勿論、山風とかだ)は、自らを歴史家はおろか歴史作家とも名乗らない。小説とはあくまでエンタテインメントである。娯楽作家で十分であり、その娯楽作家たることにこそ誇りを持つ作家のみを私は愛する。
 と、話はやや逸れかけたが、永井さんは、そうした私にとって「ちょうどいいところ」なのである。
 歴史家ぶらず、それでいて『この世をば』で私が虜にされた確かな歴史眼を持っている。信用できる。
 『炎環』が『北条政子』に先行する連作作品集で、この単行本で永井さんは直木賞を受賞している。(いつもこのレベルの作品に与えられるのなら直木賞も信用できるのだが、最近では残念ながら優れたエンタテインメント作家が余りにも零れている。)
 『炎環』は、重要人物ながら永井作品以外ではマイナーな全成(幼名今若、即ち義経の同母兄)を主人公とする「悪禅師」、鎌倉草創期の功臣ながら2代頼家に追放され非業の死を遂げる梶原景時の「黒雪賦」、政子と妹・保子の暗闘「いもうと」、そして北条四郎義時を描き、「草燃える」でのあの印象的な幕切れの原作となった「覇樹」の4編を収録。
 この2冊に『つわものの賦』を加えた3冊が、1979年の大河ドラマ草燃える」(先日ブログに書いた)の原作になっている。大河の方は、『北条政子』を軸に、実朝暗殺で終わる『北条政子』では描かれなかったクライマックス「承久の乱」や、実朝暗殺の詳細、重要キャラクターの設定は『炎環』に拠って脚本が書かれている。例えば、北条四郎義時及び三浦義村と彼らの関係は『炎環』の「覇樹」(義時と義村の関係は『北条政子』では詳しくは描かれず、義村も最後に不気味に登場するのみなので、物足りない人は是非『炎環』を)。『炎環』あっての『北条政子』である。他に細かくどこがどう使われているかは、読んでいただければすぐわかるのでここでは省く。(政子を頼朝に奪われたことから北条氏を怨み終生つきまとう伊東祐之のみは、原作には登場しない、まるきり中島ワールドである。)
 なるほど、私は「草燃える」を「昼ドラ」と評したが、原作も十分昼ドラである…が十分に根拠のある昼ドラである。大河だけ見れば、政子が、大河セオリーの1つ、「主人公はいい人にされる」に従って悲劇のヒロインなのかと思われるが、それだけではなかったのだ。『炎環』に続く『北条政子』は、政子を通して実によくあの動乱の時代が描かれている。従来「悪女」とされるほど、どうして結果として政子が前面に出てくるはめになってしまったのかや、殺されたのがみな彼女の子供や孫であったことなど、何故そういう「結果になってしまったのか」、の説明に非常に説得力がある。政子を描写する部分での、べたべたした表現の多さには少々辟易するが。女性が政治に関わったというだけで、古い史観、男性の目から見れば十分に「悪女」かもしれないが、公平に見れば悪女どころか、政治に関わると女性にはろくなことがないという見本のような話である。
 驚いたのは、「草燃える」を見ても、相次ぐ将軍暗殺は、今では「乳母政治」=後継者に群がる乳母が代表する、その夫や一族の権力争い=のせいであったと容易に理解できるのだが、その、「乳母政治」であったことそのものを初めて、歴史家に先駆けて明らかにしたのが『北条政子』だったということである(『北条政子』解説より)。
 他に「歴史家」ぶる作家で、本当に歴史研究の先を行った人はいない。
 歴史作家の方が、アマチュアの方が実は歴史研究のプロよりも…などと簡単に考えるアマチュアの多さには腹が立つ。その中では、唯一許せる作家がこの永井さんであるのは、あくまで作家として追求した結果であってそれ以上のことをひけらかさないからだ。
 というわけで、我々は原作によっても、「草燃える」によっても、「武家政権の誕生」が日本史上どれだけ巨大な出来事であったかを楽しみ理解できる。幸運なことである。
 そして、原作が非常に面白い故に、つくづく惜しまれるのは、現在見られる「草燃える」が「総集編」であるということである。フルバージョンではどんな風に描かれたのかを見たいシーンが多すぎるのだ。
 特に、『炎環』所収の「いもうと」なぞは、中島氏お得意の「姉妹もの」だし!
 ドラマの方を見て義時・義村に興味を持った方は是非「覇樹」を。私、この2人のように、対立しているけれども、互いの力量をわかりすぎるほど分かり合っている―――対立の底の底で、タールのような黒い流れで繋がっているような関係って好き。但し、上手い書き手にぶつかればの話。
 鎌倉時代って本当に面白い。元々鎌倉には地縁があったことから鎌倉時代も、その「幕末」も好きでよく史跡巡りなどもしたが、この時代に永井さんという書き手がいたことは本当に有難い。 
 他の作品もこの際続けて読みたいと思う。『美貌の女帝』とか、『噂の皇子』とか、思わせぶりなタイトルの本が目立つのが、ちょっと手に取るのを躊躇ってきた理由でもあるのだけれど(笑)、この際もう気にすまい。
 目の前で、『つわものの賦』も私を待っている…