『チョコレート工場の秘密』

旧版―内容について

チョコレート工場の秘密
 今日図書館で借りてきたのがこれ。リンクは1980年代の版ですが、私が読んだのは70年代のもの。
 挿絵がとても文章の雰囲気に合ってますね。ちょっと不気味で。(表紙はキレイな絵なんですが挿絵の人とは別人)
 ダール作品というと大人向けのものしか知らなかったのですが、この方の児童文学というのは、自分の子供に寝る前にお話をしてあげたことから始まっているそうです。で、その児童文学においても、ブラックなツボがバッチリで、それはあくまで教訓になってます。でもやっぱ…怖いよね。冷静に考えると。でも、罰は曖昧じゃいけないってことですね。ということは、大人がしっかりしなきゃいけないんですね。
 子供向けでも、最後子供がひどい目に遭う、という話は、悪い子供が出てきた場合普通ですからね。グリム童話だって悪人はすごいことになるし。子供向けとか何とかじゃなく、真実をどんな形で言い表すかなんだろうなあ、とあらためて思いました。
 TVを捨てよ。本を読もう。(映画では、多分この原作で1番のポイントが、悪い子の一例にしかなっていなくて、想像力の大事さや家族愛の方が強調されてましたが)
 昔小学校の図書室で見たのは、もっと怖い表紙のような…今検索してみても見つからないのですが。当時何で(ものすごく有名な作品なのに)読まなかったかというと、やっぱり、このタイトルからしても、何となくは「怖い」とイメージしていたせいです。
 田村隆一さんは、クリスティーの翻訳などで有名な方で、本来は詩人。訳文は子供向けらしいですます調。ウンパ・ルンパの歌の部分は、勿論この原作の方が映画よりもっと詳しいです。あの映画を見てしまうと原文がややくどいかもしれませんが、そこはやはり教訓ですから(笑)
 大人なら30分ぐらいで読める分量。
 やっぱり、こういう本は評論社なんですね〜。
 しかし同じ会社が…(次に続く)

新版―翻訳について(未読なのに(^^;))

チョコレート工場の秘密    ロアルド・ダールコレクション 2
 これは柳瀬さんによる新訳。これも予約してます。
 まだ読んではいないのですが、Amazonレビューを見る限りでは、旧訳を先に読んだ方が、むしろ大人にはよさそう。でも旧版は今絶版なんだそうです。どうした評論社!
 柳瀬さんって、かなり自己主張の激しい人なのはわかります。翻訳についてはとにかく語りまくってる人ですし。元々私はこの方の『ファニー』などエリカ・ジョング作品を読んで特に問題ないと思ったし、筒井康隆との対談も読んだし、『英語のたくらみ、フランス語のたわむれ』(共著)でも、この方の「ことば」についての考え方、特にその学び方についての考え方には共感しました。だから今この翻訳で批判の方が多い(ようです)のは残念だし、この新版を読む前に不安にもなるし、そして、もし本当に、レビュー通りの「痛い」出来になっているのなら、自分でも読みたくないし、仮に読んでも、自分の子供には読ませないでしょう。
 また、これは事実ですが、あとがきで、田村訳をボロクソに書いているそうです。田村さんもお世話になっている人だから辛いな〜。自分の仕事を先行するものへの批判から始めること自体は1つの方法ですからいけないとは言いませんが、それをわざわざ公言するのは人間のセンスとしてどうでしょう。
 自分に自信があり、語る言葉も多く持ち合わせている人は、傲慢と受け取れることもバンバンやってしまうのでしょうか…(人間、「分」が大切ってことですね)
 以下、レビューを全部読んで得た情報と、そこから考えた仮のお話と、私の、児童文学についての考え方です。
 先に映画を見て、元の英語を聴き取って語呂合わせや名前の語感を理解できる年齢の人には、名前まで「チャーリー・バケツ」とか「イボダラーケ・ショッパー」(ちなみにこれ「ベルーカ・ソルト」ね(笑))とか「完全に」訳されると却ってうざいですね。田村訳は確かにくどくはありますが、子供がパッと受けるきれいな言葉の印象って大事ですよ。子供って、必ずしもいつもストレートに意味を知りたいわけじゃないです。正にこの物語で強調している「想像することの力」を最初から奪っている意訳ですね。
 田村さんにしてみれば、原作の言葉遊びは、読みたかったら大人になって原文(そんなに難しい文法じゃないそうです)読んでね、ということであり、この物語を最初に読む年齢の子供には、物語の言わんとするところをきれいに伝えたかったんでしょう。児童文学って、こういう、自分の見栄より子供を大事に出来る心のある人に扱って欲しい。
 映画版と比較しても、ベルーカ・ソルト(この、「ベルーカ」っていう、スペルを説明しなきゃいけないようなもったいぶった名前ってのが彼女にピッタリなんだよね(笑)そういう意味では、どんな「翻訳」より映画に「翻訳」された方が、原作の言いたいことはよくわかる)なんて、そのまんまにしとかないと、視覚情報と合わない。彼女の父親の会社名「ソルト&ナッツ」(ピーナッツの会社)の面白さ。「ソルト氏のナッツ会社」であると同時に、「塩味ナッツ」(おつまみってことかな)の意味もある。こういう、言葉に二重の意味を持たせるあたりとか。
 TVキチガイ(映画ではもっと残酷なお子様に)のマイク・ティーヴィーも、大人は「ティーヴィー」と聞けば、「ああ、音は「TV」とかけてるんだな」とわかる。名前だって「マイク」だし(笑)で、子供はそこまでわからんでも、この子のヤバさはわかる。それを「テレヴィスキー」は…お節介だよ。
 映画版では、ウォンカが「白髪を見つけて後継者探しを決意する」という場面で、原語では「heir」(エア=後継者)と「hair」(髪)をかけていて、これが吹替えでは「髪」ならぬ「神の子を見つけなくては!」に。まあこの程度が限度でしょうね。本当に柳瀬さんが字幕やんなくてよかったよ(笑)
 うーん。本当に、新旧訳の争いを見ていると、いかに映画がエッセンスを上手く取り出しているかが際立ってしまうなあ。「あの映画の原作?へー」となって読むものが新訳というよりは…映画だけでいい気がする。子供にはやっぱり、知っちゃいけない言葉や、例え原文にそういうニュアンスがあっても、人の外見や短所をあからさまに言うネーミングでもいいと思わせちゃいけません。
 映画のウォンカさんは原作以上にヘンですが(笑)、原作は勿論映画だって、罰される子供の外見や性格を浅はかにあげつらうためのものではなく、あくまでそういう子供の育てられ方や性格が問題なわけです。映画もかなりぶっ飛んではいますが、演技達者でよくハマった子役の名演で、実にわかりやすかった。でも、翻訳が一見「忠実」だとか原語の名前のニュアンスをそのまま伝えるように意訳まですると、ヘンな名前!だとか、そういう表面の部分にのみ子供の興味がとどまってしまう気がします。そういう意味で、子供を本に結びつけるって難しいんですよ。
 田村訳をボロクソに言うあとがき(自分の訳の自画自賛を映画パンフでもやってるそうです)。翻訳の出来如何によらず、こういう文章そのものに読者はいい気分はしないでしょう。それよりも、言葉遊びを訳しきれなくたって、子供向けであるという意識を守った田村さんの方が、毎度子供に見せたくない言葉を使う訳よりましだと思いますけどね。
 結論。世間にはもう30年以上「児童文学の傑作」とされている作品を、「後出し」で(これは柳瀬氏も否定できないのでは?結果論なら何でも新しいことはできますから。)、「大人向け」にしてしまったってことですな。申し訳ないけど、もう子供に何かが伝わる形ではないかも。この物語は、どんなにブラックであろうと、全編「チョコの甘い香り」がプンプンしているものだからこそ、その毒もチャーリーの貧乏さも際立つもの。子供はその「甘さ」と「毒」のギャップを、深いところで感じ取る。傑作とされる児童文学はこういうパターンが多いですね。でも、新訳の方には「肝心のチョコのおいしさが伝わってこない」というレビューもあり、これでは本当の本当の核を失ってしまってるってことですね。「ファンタジーの中の毒」という「両立」の要素を排したら、作品自体の価値にも関わります。これは、「あの映画の原作」として手に取られる本としては由々しき問題です。なのに、旧版が絶版だから、映画で儲かるのはあくまで柳瀬氏。納得できませんね。
 旧訳を、絶版にまでするのはやりすぎでしょう。選択肢は残すべき。新訳を与えたくないと思った親はどうすりゃいいんでしょう。評論社、良質な児童文学出版を中心とし、かつ謙虚な会社として知られていたのに、『指輪物語』で「映画化での儲け」に味を占めて、ヘンな方向に行き始めているのでなければいいが…
 翻訳ということでは、実は全く同じ争いが『ホビットの冒険』でもありました。元々あった岩波書店瀬田貞二訳と、映画化後に原書房から出た訳(これは今でも両方売ってます)。これはどう考えても後者は最悪ですね。別に『指輪物語』と同じじゃなきゃというわけでもないし瀬田信者でもないけど、とにかく…品がない。ゴラムの自称が「ぼくちん」はないだろ!(笑)あのあたりの語感は、瀬田訳ですね。但しやっぱり、旧訳はくどい。確かに、読むのは大変。でも私は子供の頃、このくどさが好きだった(笑)「読んでる」って感じするもん。自分が子供の頃に読んだ本の、あのほわんとした記憶を基にすれば、新訳は余りに…でもやっぱり、ここでも、映画パンフに文章を寄せていたのは新訳の訳者の方。
 どうも映画化ってのは、新しいものに飛びついてそれまでの歴史をぶっ壊すという面もあるなあ。
 これも図書館にあったんで予約中。
チョコレート工場の秘密 フィルム・ブック 簡約版
チョコレート工場の秘密 フィルム・ブック 簡約版

続編

 同じキャラクターによる姉妹編がこれ。エレベーターが出力を間違えて宇宙へ。子供向け版では田村訳『ガラスのエレベーター宇宙にとびだす』です。
ガラスの大エレベーター     ロアルド・ダールコレクション 5