相原恭子『京都 舞妓と芸妓の奥座敷』(文春新書)

京都 舞妓と芸妓の奥座敷 (文春新書)
京都 舞妓と芸妓の奥座敷 (文春新書)相原 恭子

文藝春秋 2001-10
売り上げランキング : 13835


Amazonで詳しく見る
by G-Tools
 「ためになった」という意味で、非常に面白い本だった。
 まとめ方が非常に手馴れた感じだ。
 偶々、著者はもともとドイツ関係の人(ドイツ政府観光局勤務を経てライターに)。ドイツ関係の著書も多い。
 今回の本は、偶然京都で祇園の芸に触れて、「いつか書いてみたい」と思っていたところに海外の出版社から「芸妓について書いて欲しい」という依頼があって書いた『Geisha』の後をうけて書かれた、わかりやすい本。「芸」に対する真摯な取材姿勢がよい。ひいては、我々もまた、彼女たちの「芸」についてこそ、自らの誤解を解いて知らねばならないということである。
 私も、知らないことだらけだが興味はあった世界のことで、へえ〜を連発し、感心し、あらためて、凄い世界だなあと思った。
 著者がどのような目的でこの本を書き、また、芸妓の世界とはどういうものかを先にざっと掴んでおきたい人は「あとがき」から読んでもいいだろう。
 偏見を取り除き、正面から芸を見つめ、お座敷の楽しみ方とは本当はどういうものかをわかりやすく紹介しているという点では非常にいい本だ。
 舞芸妓の世界は、日本文化の最後の砦、と著者は言う。
 その価値は「時間」と「努力」と「心遣い」にある、つまり、時間を積み重ね、努力を積み重ね、心遣いを一番とする世界にのみ許された美と芸能であるということが、よくわかった。

 ただ、確かに芸の世界ではあるが、やはり一般社会にも必要とされる美点ばかりではないことも忘れてはならない。今回の本は、明るい面をやや強調しがちとも言える。
 例えば、些か女性としては口にするのも恥ずかしい言葉だが、「水揚げ」という”儀式”。勿論戦後にはない。
 芸妓とは芸を売るのであって身(色)は売らぬ、というのだが、この水揚げは、旦那のあるなしに拘らず(そもそも水揚げにはそれを得意とする旦那が当たるもので、一度きりのことでその後も関係を持つわけではない)、舞妓から芸妓への「襟かえ」に伴って、否応なしに通過しなくてはいけないものだった。
 ということは、結局のところ、やはり舞妓と芸妓は娼妓でこそないものの、男性の要求(それも、かなり勝手な)に従って存在するものであることには変わりない。
 舞妓のうちは、昔の10歳やそこらの女の子でなく、現在では10代後半であろうと、「おぼこい」ことが求められ、桃割れに結い、肩上げのついた着物を着る。つまり「女」でなくていいのである。ところが、「芸妓」として客の相手をするには「男を知った女」でなくてはいけない。それはどういうことかといえば、男の側からは女を知ろうともしないくせに、男のことは「わかってくれよ」という、これまた勝手な要求ゆえである(これは普通のホステスなど水商売の女性にも常に男が求めるものであるが)。男性の都合で無理矢理「女」にされて、さあ男女のことはわかってくれよも何もないものだが、男の都合からすれば、男を知った女は何でもわかるようになってしまうらしい。だから、水揚げが行なわれて、とにもかくにも処女を失う(ということは、昔は「芸妓」に処女はほぼいなかったわけか…)。そして、私はこの本で初めて知ったのだが、芸妓が所謂我々のイメージする「白塗り」に「おひきずり」であるのは二十代まで(!)で、三十を過ぎると、お座敷で踊ってくれと言われない限りは、普通の着物に普通の髪型、一般の和服女性と同じ恰好なのだそうだ。つまりは、舞妓から芸妓への「襟かえ」の時とは逆に、ぶっちゃけ「三十過ぎたら、男の性的対象からは外れる」という(多分)、これまた極端な要求である。
 つまるところ、芸妓の道を選んだ女性の姿の変遷は、完全に男性側の都合によるのだ。(それは同時に、一般女性からの、結婚もしないで男を知る女としての「玄人女」への偏見、敵視にも繋がるのだから皮肉だ。女性の貞操が絶対視されるようになったのは江戸期以降だが、そういう世の中で、心ならずも女になった人々がむしろ女性からどんな差別を受けたかは、それこそ文学作品にも現実にも枚挙に暇がない。)
 勿論、ゆかしいしきたりと言ってしまえばそれまでだが、一般社会にもある、女性の一生は男性の都合による、という風潮が遊びの世界にも持ち込まれているようでもある。このあたりを突っ込むと芸とは別の問題になるのでここでやめておくが。
 こうした儀式は今はなく、純粋にキャリアによって舞妓から芸妓になる、という。しかしあくまで娼妓ではない、とされるこの世界にも、このようなしきたりがあったことは、やはり日本の芸、特に女性が担うそれは、きれいごとだけでない、ということの象徴のような気がする。外国では「ゲイシャ」=売春婦、とされる誤解(を、解いたのも先に挙げた『Geisha』の意義だったと思う)も、ある意味は、芸と色とが不可分である日本文化に責なしとはしないのである。
 日本の伝統芸能の、他の国のそれとは違うわかりにくさは、それらがどうしても「色」と切り離せないゆえではないかと私は考えている(そもそも日本の歌舞伎の歴史、もっと遡れば能もそうだ)。例えば明治以後やたら崇め奉られて学校教育に採り入れられた西洋音楽や、国家的規模で学校を作って集団で指導される中国舞踊のように、一気に「グローバル」(これも好きな言葉ではないが)化しづらい。どうしても個々人、師弟制に任されてしまい、日本人にすら正確には知られていない。「国立伝統芸能学校」とまでは行かない(唯一近いのは国立劇場にある歌舞伎俳優養成学校だが)。世界へのアピールでどうしても諸外国に遅れを取ってしまう(これを私は常に残念に思っている)。
 勿論、各国の俳優にも、技術を売ると同時に色を売ることが必須であったという伝統もある。しかし、日本での、一般の女性にもあった”芸事”の習い事は、どうしても色っぽい匂いに直結してしまう。それが現代にまで現実あるいはイメージとして残っているのは、修業の厳しさや、別世界を求める客に対するマナーゆえでもあろうが、それゆえにどうしても外部にはバイアスがかかって伝わってしまう。そのあたりが、今でも事実と偏見がないまぜになった、どうもわかりにくい日本の特殊性の一つであると思う。

 おまけ。
 私は昔、結婚式場で巫女のバイトをしていたのだが、その時先輩に「絶対に間違えるな」と言われたことは、「新婦には必ず右手で褄(帯から下の裾の合わせ目)を持たせる」ということだった。巫女は2人1組で、新郎につく方と新婦につく方ですることが違う。この、新婦側で一番難しく重要な仕事が、入場から着席、退場までの新婦の裾の取り回しなのである。式の間で新郎と新婦が動くのは神前に玉串を捧げる時だけなのだが、この時、新婦を立たせて、褄を手前に少し引いて重ねて、一箇所たるませて指を入れる所を作って「右手でお持ち下さい」と、半ば有無を言わさず右手で持たせる。
 何故かと言えば、「左手で持つと芸者さんになってしまうから」だそうである。その頃は「ふーん、そんなもんなのか」と、つまり、やはり商売女という意味で理解していた。
 しかし。
 芸妓が左手で褄を持つのは、今回の本やいくつかの本で読んだが、左手で持つと裾の合わせ目が逆になり、男性が手を入れにくくなるからだそうである。これぞ、「芸は売っても身は売らぬ」ということなのだそうだ。
 ということは逆に、新婦が右手で褄を持てば、新郎は余計に裾に手を入れやすくなり…
 結婚式では、「芸者のように左手で持つな」。芸妓の側は「身は売らぬ」ために左手で持つ。
 ならば、夫にとって妻とは…?
 なかなかに興味深い「ツマ」の問題である。